湯浅邦弘著「貞観政要(じょうがんせいよう)」(角川ソフィア文庫 2017年)および出口治明著「座右の書『貞観政要』」(KADOKAWA 2017年)を拝読しました。貞観政要は、唐の第2代皇帝、太宗(たいそう)の言行録です。
太宗は三つの鏡を持って善政を行ないました。その三つの鏡とは、銅の鏡(現代では、普通の鏡のこと)、歴史の鏡、人の鏡のことです。
湯浅邦弘さんの著書では、太宗の言葉を次のように翻訳されています。
太宗がかつておそばに仕える臣下たちに言われた。「そもそも銅を鏡とすれば、衣服や冠(かんむり)を正すことができる。古(いにしえ)を鏡とすれば、世の興亡を知ることができる。人を鏡とすれば、善悪を明らかにすることができる。私は常にこの三つの鏡を保持して、自身の過ちを防いできた。しかし今、魏徴(ぎちょう)が亡くなって、ついにその一つの鏡を失ってしまった」。そこで久しく涙を流された。
【銅の鏡】
自分の服装や表情を正す鏡、言い換えると自分で自分を正す鏡です。
【歴史の鏡】
未来のことはわからないので、過去のケースを現在の状況に照らして未来を推測するしかありません。だから、歴史を学べ、歴史を鏡とせよというのです。
【人の鏡】
太宗には「魏徴」という諫言(かんげん)してくれる、耳の痛いことを言ってくれる家来がいました。それが人の鏡です。そういう自分の都合の悪いことを率直に話してくれる人である鏡を持てと言っています。
こうした三つの鏡を持つことによって、正しい判断や意思決定ができるというわけです。「銅の鏡」と「歴史の鏡」は、自分の行動や努力によって持つことができるでしょう。
しかし、「人の鏡」を持つことは容易くありません。太宗も魏徴を亡くし、涙を流しています。素直で謙虚に過ごし、さらに幸運に恵まれないと、人の鏡は持つことができないでしょう。
僕は、厳密な意味での人の鏡を持ち合わせていません。人の鏡とまでは言えませんが、妻は僕を叱ってくれる唯一の人です。妻に三鏡の話をし「耳の痛いことを言ってくれるのは、お母さんだけだ」と言いました。妻は「私もそうよ。言ってくれるのはお父さんだけよ」と言ってくれました。久しぶりに夫婦間でほのぼのとした気持ちになりました。
「三つの鏡」を持つことが望ましいと、常々心に願っていることが大切だと思います。