デール・カーネギーの著作、「人を動かす」と「道は開ける」を、僕はたまに読み返すことがあります。今般、「人を動かす」を読み返してみて、カーネギーがこんな失敗談を書いているのかと、気づきました。以前は関心がなかったのか、忘れてしまったかのどちらかだと思います。
「議論を避ける」の章の冒頭に述べられているエピソードです。
オーストラリアのパイロットが英国王からナイトの称号を授与され、その祝賀パーティがロンドンで開かれました。パイロットのマネジャーをしていたカーネギーも、パーティに招かれました。その席上、参列した男性の一人が「聖書の一節」を引用して、面白いスピーチを披露しました。
お祝いの席にもかかわらず、カーネギーは「その一節は、聖書の引用ではなく、シェークスピアの引用だ」と、男性の誤りを指摘してしまいました。スピーチをした男性が怒ってしまい、カーネギーと言い合いになりました。
パーティに同席していたカーネギーの友人が、双方の言い分を聞いた上で、カーネギーの足をそっと蹴ってこう言いました。
「デール、君のほうが間違っているよ。あちらの方のほうが正しい。確かに聖書からだ」
友人はシェークスピアの一節だと知りながら、場を和ませるために、わざと「聖書からだ」と言ったのです。
パーティの帰り道に、「場をわきまえよ。誤りを指摘する必要はなかった。議論もしないほうがよかった」と、友人にカーネギーは諭されました。
この友人は私に生涯忘れられない教訓を与えてくれた
と、カーネギーは感謝の言葉を述べています。また、面白いスピーチを聞かせてくれた相手にも気まずい思いをさせてしまったと、反省しています。
聖書やシェークスピアだと言ってもわからないところもありますが、カーネギー自身の体験談であり彼の熱意が感じられます。
この「議論を避ける」の章では、正義感あふれる議論がいかに不毛のものかがわかるエピソードで綴られています。さらに加えて、次章は「誤りを指摘しない」という表題で、それにちなんだエピソードが述べられています。
カーネギーの失敗談を拝読して、僕も同様の失敗を犯しそうだ、気をつけないといけないと引き締まりました。後づけの結果論になりますが、僕はこう思います。カーネギーは黙っておくほうがよかった、あるいは、パーティを盛り上げるならば相手のスピーチの共感できる部分についてコメントすべきだったと。