仕事力

心に響く自己啓発

どうしたら創意工夫ができるのでしょうか?

創意工夫とは何でしょうか。オズボーンのチェックリストでしょうか。KJ法でしょうか。ブレーンストーミングでしょうか。

しかし、これらは発想のツールに過ぎません。

 

堺屋太一さんの著書「地上最大の行事 万国博覧会」(光文社新書 2018年)を読んで、僕は「創意工夫」を想起しました。

この本では、堺屋さんの生い立ちや最初の万国博覧会から上海万博までのことが記されています。なかでも、1970年に開催された大阪万博(正式名称:日本万国博覧会)の立ち上げから閉会に至るまで詳しく述べられています。

くだんの大阪万博が開催された年、僕は高校1年でした。「月の石」を見るために、家族で一目散にアメリカ館に走ったことを覚えています。

この写真は、亡き父が遺してくれた大阪万博のスタンプ帳の背表紙です。

日本万国博覧会スタンプ帳

この大阪万博の入場者数は、スタンフォード研究所の当初予測では1850万人が精一杯ということでした。ところが予想外に、実際の万博開催中の総入場者数は6422万人に上りました。この入場者数は、上海万博の7300万人に次ぐ史上第2位の記録です。

 

万博開催に当たり、数々の創意工夫がありました。とくに、次の三英断が印象に残っています。

1 正式名称を「大阪万国博覧会」ではなく「日本万国博覧会」にしたこと

 万博は国家行事ですが、これまで外国では開催都市の名前が付けられていました。しかし、この万博では初めて「日本」という国の名前が付けられました。「大阪万国博覧会」では地方都市の行事であるというイメージが強い。国を挙げての一大行事であることをアピールし、とくに首都東京の協力が不可欠であったのです。

2 シンボルマークを上記写真のように、桜の花をモチーフにしたこと

 シンボルマークは当初、哲学的な玄人好みのデザインにすることを事務局が決めていました。ところが、博覧会会長の猛反対によってシンボルマークが再考案され、より大衆的で、一度見たら忘れないデザインとされたのです。

3 お祭り広場の大屋根の中央に大きな丸い穴を開けて、「太陽の塔」を突き抜けさせたこと

 会場計画プロデューサーの丹下健三さんと展示プロデューサーの岡本太郎さんが大激論した末、建築物の屋根に穴を開けて展示することになりました。

 岡本太郎さんはこう述べて、一歩も引かない構えでした。

万国博の展示の中心には、一目で分かるような造形が必要です。一番目立つ展示を私は考えました。

堺屋さんの本を読んで、万博関係者の方々に厚く敬意を表するとともに、創意工夫とは何かを考えました。創意工夫には、「熱意」「真剣な議論」「チャレンジ精神」の三要素が必要だと、僕は考えます。

① 熱意

 万博を現実のものにしようとする強い熱意が必要です。松下幸之助さんは、著書「道をひらく」(PHP研究所 1969年)の中でこう述べています。

何としても二階に上がりたい。どうしても二階に上がろう。この熱意がハシゴを思いつかす。階段をつくりあげる。上がっても上がらなくても……そう考えている人の頭からは、ハシゴは出てこない。

才能がハシゴをつくるのではない。やはり熱意である。

 

② 真剣な議論

 万博開催に当たっては、たびたび真剣な議論が行われました。議論のない事業はうまくいきません。P.F.ドラッカーさんは、著書「マネジメント エッセンシャル版」(ダイヤモンド社 2001年)において意見の対立の必要性を述べています。

マネジメントの行う意思決定は、全会一致によってなされるようなものではない。対立する見解が衝突し、異なる見解が対話し、いくつかの判断のなかから選択が行われて初めて行うことができる。

③ チャレンジ精神

 大阪万博は日本では前例のない行事で、安全面や収益面など様々なリスクを伴いました。また当時、「時代錯誤で万国博覧会は過去のものになった」と発言する学者もいました。さらに、スタンフォード研究所によって、厳しい入場者数の予測値も発表されました。

 こうした逆風の中で、あたかも映画「ロッキー」で主人公が無敵のチャンピオンに挑んだように、関係者たちは万博開催に挑戦しました。

 

思いつきは比較的簡単でしょうが、その思いつきを実現させるには困難を有します。

「言うはやすし、行うはやすしきよし*1です。

*1:やすしきよし」さんのような漫才師には、並大抵のことではなれないことを意味しています。