仕事力

心に響く自己啓発

「安物買いの銭失い」と言われない商売

100円ショップ「ダイソー」の創業者、矢野博丈さんが、2024年2月12日に80歳でお亡くなりになりました。2月20日のダイヤモンド・オンラインで、同氏が生前に寄稿した記事が公開されました。記事名は「【追悼】ダイソー創業者・矢野博丈氏『自分は不運、こんな会社すぐ潰れる』と疑い続けた弱気人生」と言います。

倒産も経験し挫折の連続の中で転機となったのは、トラックでの日用雑貨の移動販売でした。夫婦二人で各地を販売して回りました。

毎日変わる仕事場で、ある日のこと、いつものように開店準備をしていると、待ちきれないお客さんが勝手に段ボール箱を開けて「これ、なんぼ?」と聞いてきました。思わず口から出たのは「100円でええよ」でした。これが100円ショップ誕生の瞬間でした。

100円均一で喜んでもらえるのですが、中には「安物買いの銭失い」と嫌味を言うお客さんもいました。そう言われないように品質を向上させて、顧客満足度をあげていきました。一方で商品原価が高くなるので、薄利多売を貫きました。

矢野さんと同じように100円均一を営む業者もいますが、その中でトップに躍り出たのは、品質向上、顧客満足度向上を心がけたからでしょう。

1977年、法人化し、いつか大きな会社を創りたいという思いを込めて「大創産業」という社名を付けました。こんな社名と裏腹に、「いつ潰れるか」と内心ではビクビクしながら営んでいたそうです。それもそのはず、何度も挫折や転職を繰り返したからでしょう。

この記事に記されている挫折や転職は、次のとおりです。

・プロボクサーを目指しますが、プロで戦える実力がないと悟りました。

・リヤカー一つで屑屋を始めようとしますが、妻の実家の家業を手伝うことにしました。

・鮮魚の養殖業を営みますが、赤字続きで倒産、東京へ夜逃げしました。

・東京で百科事典のセールスマンになりますが、業績をあげられませんでした。

・ちり紙交換を営みますが、故郷の広島県に帰りました。

・広島でもバッタ屋や日雇いの肉体労働など、色々商売をしました。やがて、日用雑貨の移動販売を営みます。

・事業所兼自宅が放火され、トラックも在庫もすべて焼けてしまいました。火災保険には入っていませんでした。「仕方ない」とあきらめ、再起を図ります。

矢野さんは茨の道を歩まれましたが、ご夫婦、ご家族の絆が強かったため、逆境を乗り越えられたものと思います。ちなみにウィキペディアによると、ご長男は医科大学教授となり、ご次男がダイソーの後継者になったとのことです。