外山滋比古さんは、著書「読みの整理学」(ちくま文庫 2007年)の中で、既知の物事を読む場合と未知の物事を読む場合とでは、文章の読み方が違うと述べています。
既知を読むには、文字さえわかればよい。ときには、その文字ですら明確にとらえられていなくても、文章の見当をつけることはできる。
たとえば、新聞のスポーツ面やスポーツ新聞です。
昨日、テレビや球場で見た野球の試合結果。大谷翔平さんや村上宗隆さんのホームラン。昨日の感動を反すうするようなものです。既知のことですから、文章を読むのはたやすいでしょう。
これに対し、未知の物事を読むには二重の壁があると、著者は言います。
まず、ひとつに、ことばと文字、しばしば未知の文字、表現があらわれる。
(中略)
もっと厄介なのは、もうひとつの壁だ。文字や単語はわかっているのに、なお、何のことを言っているのか五里霧中という場合である。
たとえば、新聞の社説や教科書を読むことが、「未知を読む」にあたります。
第一の壁は、知らない文字やことばの言いまわしを調べることで突破できます。しかし、第二の壁は簡単には突破できません。
教科書などは未知を読む連続である。ロック・クライミングのようなもので、一歩踏み外すと、転落しかねない。
「読書百遍意おのずから通ず」と言われるように、難しい内容の文章を繰り返し繰り返し読むことによって理解できると、著者は説いています。
僕は、読むのに難航し断念した本は多数ありますが、「7つの習慣」は繰り返し読んで壁を突破できた本の一つです。具体的な文章の部分から突破していき、少しずつ抽象的な文章を理解していきました。
中庸の文章が読みやすいですね。つまり、既知と未知が五分五分くらいの文章です。たとえば、小宮一慶さんの本が読みやすいです。基本的な軸がしっかりしていて、新しい知識が若干入っている本が多いです。
そうは言っても、教科書など、どうしても理解しないといけないのに、わからないという場合があります。僕は社会保険労務士試験のテキストを読む場合は、「わからない」の連続でした。その時は、とりあえず暗記するか、スルーしました。いつの間にか、わからなかったものが理解できるようになったこともありました。