仕事力

心に響く自己啓発

転職とは軽々しいものではない

昨年、プロ野球日本シリーズが終わった時、僕たち夫婦はテレビでオリックスバッファローズの強打者、吉田正尚選手がメジャーリーグに行くとの報に接しました。

妻は「オリックスで大活躍しているのだから、ずっとオリックスにいたらいいのに」と言いました。僕は「一度きりの人生だから、チャンスがあればチャレンジしたいのではないか」と答えました。日本と環境が異なるアメリカに行って活躍できる保証はなく、リスクがあります。

 

もっと高いハードルを乗り越えて転職を経験した人物がいます。世界的なコーヒーショップチェーン、スターバックスを成長発展させた実業家、ハワード・シュルツさんです。彼の著書「スターバックス成功物語」(日経BP社 1998年)を、僕の人生と重ね合わせながら、拝読しました。

貧困家庭で育ったシュルツですが、フットボールの特待生となって大学を卒業しました。彼は、ゼロックス社に入社し、当時最先端だったワープロの飛び込み営業をやりました。訪問先でにべもなくあしらわれたことは数え切れませんが、仕事をおもしろく感じ、ユーモア精神と勇気をもって取り組みました。業績が認められて、彼は管理職になりました。

ある時友人から、スウェーデンの家庭雑貨を扱う商社がニューヨークに支店を出すことを教えてもらいました。彼は、その会社に転職し頭角を現し、副社長に抜てきされ、アメリカの営業本部長として手腕を発揮しました。高い給料をもらえるようになったほか、専用の車を与えられ、必要経費や旅費の決裁権限も保証されました。

 

会社の得意先の中で、シアトルにある小規模なコーヒー豆の小売店スターバックスに、彼は大いに興味を抱きました。彼は幾度もシアトルのスターバックスを訪れ、同社の経営陣に業容を拡大するビジョンを熱く語りました。

当時のスターバックスは、小さいながらも安定した業績を収めていました。シュルツを受け入れることは、チャンスでもありますが、大きなリスクでもあります。一般の従業員を雇うのとワケが違います。会社の経営方針も変わってしまいます。数年かけて、スターバックスは、シュルツを受け入れることを決定しました。

シュルツの側にも、転職すること、ニューヨークからシアトルに引っ越すことに大きな障害がありました。肺癌を患っている父、老年の母がいます。母は、なぜ今の地位を捨てて、遠い所にいくのかと言いました。シュルツの妻は、ニューヨークでインテリア・デザイナーとして活躍してきましたが、シアトルに行けば、その地位も犠牲になります。

シュルツは大いに悩みました。しかし、両親は「シアトルへお行き」と言ってくれました。妻の協力も得られました。

スターバックスに転職して、彼は店員の仕事やコーヒー豆の焙煎のやり方を覚えるところから始め、営業部長として手腕を発揮しました。

 

転職の話は、これだけでは終わりません。スターバックスの経営陣はあくまでコーヒー豆の小売をやる、シュルツがやりたいコーヒーチェーン店への進出を否定しました。シュルツはスターバックスを円満退職することになります。

シュルツは自分で別の屋号のコーヒー店を出店するために、出資金集めに駆けずり回ります。ほとんどの投資家から「そんなビジネスは成功しない」と拒否されます。何とか資金集めに成功し、持ち前のマーケティングや営業の能力を活かして事業を軌道に乗せます。

そんな時、スターバックスを譲渡する話が持ち上がり、シュルツはスターバックスを吸収合併します。コーヒーショップチェーンとしての「スターバックス」の誕生となりました。

 

僕にはシュルツのような能力は1%もなく、こんな重量感がある転職は一度もできませんでした。でも、妻はよく言いました。「なぜ、うまくいっているのに辞めるのか」「お父さんはいつも険しい道、大変な道を選んでいる」と。

転職あっせん会社のテレビCMをよく見ます。ですが、転職は決して軽々しいものではありません。シュルツが経験した苦労を頭に入れておいて損はありません。