仕事力

心に響く自己啓発

「できます」という言葉の重み

稲盛和夫さんの著書「生き方」(サンマーク出版 2004年)を拝読しました。著者は、一生懸命がんばったら、神様から手を差し伸べてもらえるとおっしゃいます。自分の能力を上回るアイデアだから、自分で創造したのではなく、神様に教えてもらったのだと思っておられると、僕は解釈しました。

ところで、京セラ創業当時、著者は「できます」と勇気を奮って断言してきたそうです。大手メーカーが「難しい」と断った仕事を、「できます」と断言し受注しました。それは、当時の京セラの技術水準を大きく上回る仕事を引き受けていたことになります。「できます」と引き受けた時点では、嘘をついたことになります。

しかし、必死の思いでやり続け、最後に神様が手を差し伸べてくれ、ついに完成すれば、嘘ではなく実績を生んだことになります。こういうことを常套手段として、京セラは発展したそうです。

僕は、「人材銀行」という公的な就職斡旋機関(現在はありません)に就職の相談に行ったことがありました。

まず、窓口担当の方からこう質問されました。

「面接で、やったことがないとか、経験がないとか、言っていませんか」

僕は「できることはできますと、言っています」と答えました。

担当の方から「会社がやって欲しいという職務のすべてを『できます』と、言ってください」とアドバイスを受けました。

僕は「経験のない職務はやり遂げられるかどうか、わかりませんが」と質問しました。

担当の方に「がんばって仕事をやり遂げてください。社会保険労務士の資格もお持ちでしょう。資格が泣きますよ」と発破をかけられました。

僕は「励ましのお言葉、ありがとうございます」と言って、感激しながら退出しました。

だからといって、僕はどんな職務でも「できます」と言ったわけではありません。努力して「できます」と答えることが可能な求人を探して応募し、仕事をやり遂げたのです。

稲盛さんも「これなら、努力すればやり遂げられるであろう。ただし、相当の努力は覚悟しなければならない」と考えた上で「できます」と断言されたに違いないと、僕は思います。