先日もテレビのニュース番組で、成果や実力に基づいた人事制度に切り替えるべきだと語る解説者がいました。この考え方は、従来の年功制を否定するものです。
ちょっと古い本ですが、高橋伸夫さんの著書「できる社員は『やり過ごす』」(日経ビジネス人文庫 2002年)を拝読しました。著者は、成果主義を否定し、日本型年功制でも差がつくし、社員に甘くない制度だと述べています。
著者がアンケート調査や聴き取り調査を行ったところ、20歳代の社員は年功序列的だと考えていますが、40歳代の社員はそうではないと考えています。
実は年功制を採る企業の人事管理を調べると、入社時から社員の人事評価が詳しくなされていることがわかりました。20代では差が顕著ではありませんが、社歴とともに差が明確になってくるとのことです。
仕事ができる社員には、会社の未来に影響を与える職務や日の当たる重要な職務が与えられるそうです。仕事ができない人にそうした職務は任せられないからです。
いつの時点で差がつくのか、それは次の配置転換の時です。次の配置転換で、仕事ができる社員には上述したような重要な職務が与えられるのです。そこで差がつきます。仕事を水準以上にやり遂げた社員には、今ではなく、次の仕事で報いるのです。言い換えると、「未来」で報いるのです
日本型年功制にも問題点があります。
一つは、中間管理職層がしわ寄せをくらうことです。中間管理職は、上から下から横から、さらに外部からも、何かと面倒なことを引き受けなければなりません。忙しいし、難しいです。
そこで、中間管理職は、どうでもいいような上司の指示を忘れたふりをして「やり過ごします」。しかし部下が不始末をすると、「尻ぬぐい」しないといけないことがあります。さらに権限はほとんどないのに責任は重いため、「泥かぶり」をさせられることもあります。「尻ぬぐい」や「泥かぶり」は誰かがしないといけないので、日本だけに限らず、海外の企業でも誰かがやっていると思います。そういう貴重な人、トラブルを解決する人がいるからこそ、ビジネスが成り立っているのです。
もう一つの問題点は、給料が年功的に上がるため、仕事ができない社員にとっては仕事がきつくなることです。仕事ができなくても、給料に見合うだけ働けという年功制は厳しいものなのです。
こうした二つの問題点をクリアすれば、日本型年功制はより良いものとなるでしょう。
半期ごとの働きぶりで給料の査定をする、あるいは、成果に応じて毎年給料を増減させる、給料に差をつけることが先にある、このような成果主義の風潮が良いように思われるでしょうか。そういう会社に入って、住宅ローンを組んで家を買いたいと思うでしょうか。
アメリカの大企業では多数の社員を簡単に解雇しています。日本は解雇が難しい国です。欧米のやり方をまねるだけでなく、日本が長年にわたって培ってきたやり方に改善を加えていくというアイデアはいかがでしょうか。